我慢

忍耐力があるっていうとポジティブな意味として捉える人が多いと思う。あなたの長所は何ですかと聞かれて、忍耐力があるとか粘り強いって答えとして正解ですよね。

思い返すと“我慢強くあれ”って子供のころから親や教師に教えられてきた気がする。確かに生きていく上で忍耐力って必要だし、大人になればなるほど我慢を必要とされる場面が多くなると思う。だからこそ子供に教えるんですよね、学生のうちに忍耐力を養っておけと。部活動、特に体育会系はそういう指導が顕著なんじゃないかと。私は中・高と陸上部だったんですけれども、

 

簡単に諦めちゃダメだとか、途中で辞めるなとか、最後まで粘れとか、とにかく辛くても我慢しろ的なことを散々言われた記憶がある。もちろん目標を達成するためには努力や忍耐は必要だと思う。

 

でも世の中しなくていい我慢もいっぱいあると思うんですよ。しかしながら、我慢すること=良いことだと教えられてきた身としては、我慢しない=逃げみたいな悪の公式がどうしても成り立ってしまって罪悪感を覚えるんですよね。

 

いじめられてるのに我慢して学校に行く必要はないし、ブラック企業で働き続ける必要もないし、折りの合わない人と無理して結婚生活を続ける必要もないと思うんですよ。よくいるじゃないですか、親戚の子が離婚したりすると、最近の若いコは我慢がきかないからとか言うおじおば。我慢することが美徳みたいな呪いかけるのやめてもらってもいいですか。。

 

目標達成のためとか自分がしたくてする我慢は勝手にすればいいと思う。がんばれよと思う。他人事だけど。でもそうじゃないんだったら、やりたくもないこと我慢して続ける必要ないと思います。とっととやめておしまい。大人なんだから、社会人なんだから、、、とか思う必要なくて。大人だから我慢しなくちゃいけない、社会人だからこうしなくちゃいけないなんてものは誰かが作ったただの呪いで。そんなものから解き放たれてもっと自由になっていいのに…ってこれ自分に言ってるのか…自分が今の環境から抜け出したいから、社会人として周りのみんなが普通にやってることできないから、自分を正当化しようとしてるだけなんじゃ…

 

やっぱり我慢は必要なのか…どんな我慢が必要でどんな我慢は必要じゃないのか…よくわからなくなってきた。